僕の身体には幸せになる細胞が入っている

 夜になると、嫌な事を考える。この日は、僕の短い人生の中で、心の底のそこから「幸せだった」と言える時って、どれくらいあっただろうか。という事が勝手に思考されてしまい、深い闇に突き落とされた。

 深い思考をする時に真っ先に頭の中で自己主張をしてくるのは楽しかった思い出や幸せだった時の記憶ではなく、辛くてどうしようもなくて、でも忘れられない嫌な思い出ばかりだ。嫌な思い出や辛かった経験というのは数珠繋ぎになっているようで、1つ思い出してしまった時には時すでに遅し、100思い出すまで「思い出す」ことを止められない。自分のことながら、ゴキブリのようだな、と思う。

 思い返すこと思い返すこと全てが嫌な思い出だと、どうしようも無く冒頭に記述した思考に陥ってしまう。僕って、思い返せばいつもいつも不幸せだったな、と。

 

 僕が今までで1番辛かった、と自信を持って言える時期がある。15歳から18歳の3年間、高校生活の3年間だ。僕は決して長く生きてはおらず、どちらかといえばまだまだこれから、と言われることの方が多い年齢。それでも、きっとこの先あの高校生活よりも辛くて苦しい思いをすることなんて無いような気がする。というか、あってもらっては困るのだ。それほどにも、繰り返したくない人生の一部なのだ。

 

 そんな僕はふと思い返して幸せだった「状態」の時ばかりを探してしまう。

 友だちにたくさん恵まれて、家に帰れば毎日自分の好きな食材ばかりが並んだ食卓で食事をし、両親揃って仲がいい。塾でも学校でも優秀な成績を収める。部活でも全国とはいかなくても、県大会に進めるくらいの実力は持っており、部活仲間ともそこそこな良好な関係を築けていて、大会後には必ずみんなで打ち上げをする。

 地元でそこそこな国公立大学に進学し、男女の壁を越えた友情をたくさんの人と築き、その中で外見的魅力も内面魅力も両方を持った異性と付き合って、教授にも気に入られる。学校内を歩けば多くの色んなコミュニティに作った友達が自分に手を振ってくれる。明確なアイデンティティを持っていて、休日は恋人や友達と遊ぶ日もあれば、自分の好きな趣味に使う日もある。忙しいけど時給は高いアルバイトでまあまあ稼ぎ、月に2、3回はバイト仲間で飲みに行く。毎回参加するわけではないけど、みんなに参加しろ、とせがまれる。 

 就活だって3年生の夏に行ったインターン先で常務に気に入られ、就活という就活なんてしないでまあまあ大手のホワイト企業に内定をもらう。土日祝日休み完全週休二日制で夏季休暇、年末年始休暇ありだ。手取りも新卒にしてはもらえている方だ、と言われるくらいもらえる。入社してすぐに先輩や上司に気に入られ、毎日やりがいのある仕事を与えてもらえる。毎日悩みなんてない。もうすぐ付き合って4年になる恋人との結婚を考える時期。

 僕の想像力の限界で、ここまでしか思い描く事が出来ないけど、これが僕にとって幸せの「状態」だと思っていた。この「状態」でなければ、幸せではない、とまで思ってしまっていた。

 

 僕には幸い、友だちはいないが恋人と呼べる人がいる。割れ鍋に綴じ蓋とはまさに自分の事だと思ってしまったほど、僕の足りない部分や欠けている部分を補ってくれる人が現れたのだ。生まれ持った性根の悪さと、人見知りと、余計な事を言ってしまう癖から決して人に好かれてきた生き方は出来ておらず、どっちかというとどこにいても嫌われてきた僕の凹に凸のようにはまった人だった。

 先日、恋人と食事をしていた時にふとこの人と食事をしている時の僕は幸せだ、と思った。もちろん、食事だけではない。

 僕が運転する車の助手席に恋人が乗っている時、一緒にスタバのティーラテを飲んでいる時、恋人との集合場所に向かう電車の中、恋人のお手洗いを待っている時でさえも、ずっとずっと幸せだったと思った。

 思考が数珠繋ぎに溢れてくる。辛くて苦しくて二度と繰り返したくない高校生活だって、友だちと屋上でお母さんが作った茶色い弁当を食べている時、学祭の準備で買い出しに行った時、塾の前にアイスを食べた時、部活帰りに先輩や後輩とバイキングに行ってお腹が爆ける程食べた帰りとか。テストが終わった日の開放感はこの上なかったし、エモい写真を撮ろうとして加工しすぎて原型がなくなってしまったり、今見返すのダサい写真ばっかりだったり。全部全部、あの時の僕は幸せだと感じていた。

 幸せは「状態」じゃなかった。「感情」だった。線で見ると幸せな状態じゃない時の方が多かったように見える僕の人生だって、点として見たら、その時その時でちゃんと幸せを感じていた。僕が幸せじゃない時なんて、なかった。

 

 年を重ねるごとに、多くを望むようになる。それと同時に、自分の限界もわかってきてしまって、自分の可能性も自分で捨てていくようになってしまう。可能性を捨ててしまうことで、気づかない事も増えた。僕は自分が幸せだったことに気づけていなかった。

 

 僕は、ずっと幸せだ。これからも、ずっと。美味しいものを食べて、大好きな人と一緒にいて、たくさん睡眠が取れる毎日があるだけで幸せなはずなんだ。