不自由

 前回の記事で、自由について触れた。僕が思う、僕の信念としての自由。今回は、僕の思う不自由について触れたいと思う。

 

 最近、アニメ化もされたとある漫画にハマった。その漫画は今年1番売れたと言ってもいいほどの人気ぶりで、僕もその漫画に魅了されてしまった。

 ひとりひとりキャラクターが立っていることや、そのひとりひとりのバックグラウンドが丁寧に描かれている。友情とか絆とか少年漫画らしい要素がたくさんあるんだけど、綺麗事のような痛々しい感じが一切なく、むしろ憧れさえ抱くような描かれ方をしている。泣ける描写もたくさんあり、実際に僕は何度か泣いている。

 

 僕は、漫画だけでなく、食べ物や小説や映画や好きな人や、一度ハマってしまうと、真っ逆さまに落ちてしまう。そういうタイプ。ドーナツにハマったときは狂ったように食べていたし、ニンニクにハマった時は体調を崩すまで食べ続けた。一度ハマってしまうと何かのきっかけがあるまで、抜け出せない。ちなみにドーナツにハマった時は、すぐ後にコーヒーショップにハマった事で抜け出した。

 

 この漫画にハマってしまった時、今回はこれか。と思った。次は漫画ね、と。突然この「ハマる」というものが降ってくるようにやってくるため、自分でも読めないことがほとんどだ。不意に出会って、自分に刺さる何かがあると、「ハマって」しまう。

 

 今回は、これまで以上だと感じた。原作では足りなくなってしまい、2次創作やファンアートを片っ端から見ていた。仕事中だろうがお構いなしだった。少しでも検索機能を使える時間があるのなら、この漫画に関する事だけを調べていた。それが、1ヶ月ほど続いた。

 

 この漫画が大好きなことは、変わらない。次にハマるものが見つかっていなかった、というだけではなく本当に飽きなかった。

 

 ただ、ハマったばかりの頃のモチベーションは失っており、それどころか、早く飽きてしまいたい、とまで思うようになった。ここまで自分の生活の大半を占めてしまっており、この漫画について調べるために生きているような生活をしていた。そのことに、不自由さを感じてしまったのだ。

 

 たとえ、好きなものだとしても、大好きで大好きで自分の生活を変えてしまう程のものだとしても、一つのことに囚われてしまうのは不自由だと感じてしまった。今までは短期間ですぐに次の「ハマる」対象に移行していた為気づかなかっただけだったのだ。

 

 不自由が、好きじゃない。何かに囚われることが、好きじゃない。それでも抜け出せないほどこの漫画が面白いことが最近の悩みである。